ゲキカン!


北海道大学文学部4年 關ひなのさん

仄暗い劇場。中まで歩みを進めていくと何やら座布団が床に置かれている。どうやらこれが客席になるようだ。舞台上にも同様に座布団が乱雑に置かれていて、舞台と客席が連続的である。劇場内では、安室奈美恵を始めとする“あの頃”の音楽たちが延々と流れている。
1995年。2003年生まれの私はまだ生まれていないため、懐かしく懐古することは物理的にできない。しかし、1995年といえば地下鉄サリン事件だとか、阪神淡路大震災が起こった年というのは幼い頃から刷り込まれてきたため、記憶は無くとも“知って”いる。
yhs『95キュー・ゴー』で描かれるのは、2月7日、5月7日、8月7日、11月7日、12月7日の、たったの5日間だけである。1年間を四季のように区切りながらなぞる作品だ。舞台となるのは、とあるボランティアサークル。この場所に老若男女様々な人間たちが集い、会話を繰り広げる。1年もあれば、人と人は近づいたり離れたりするが、それはこの舞台でも例外では無い。3ヶ月置きというのがミソで、「領収書」や「山岡の事故」、「梶の恋愛事情」といった話題が場面ごとに少しずつ展開されていくのも見どころだ。これは、是非舞台を観た際のお楽しみにしてほしい。
この時代には、令和の生活必需品であるスマートフォンは存在しない。連絡手段といえばせいぜいポケベル程度。スマートフォンがあったなら起こらなかったであろうアナログすぎる出会いや、すれ違い、噂の広がり方。そうした「不便さ」から生まれる人間模様が、どこか滑稽で、愛おしい。
本作の巧妙な点は、台詞の端々に1995年を連想させる言葉が挟み込まれていることである。例えば「阪神淡路大震災」。この言葉が直接的に提示されることは無いのだが、登場人物たちがごく自然に「神戸」や「地震」などといった言葉を発していることで、観客は無理なく世界観を受容できる。作中何度か繰り返される「地下鉄サリン事件」に関するブラックジョークも、「この時代の札幌で生活していた人ならこんな話をしていたのだろうな」と納得せざるを得なかった。
また、台詞の運びひとつひとつがとにかく自然なのである。「ああ」とか「いや」、「えーっと」など、ともすれば役者のアドリブかと思ってしまう言葉たちが意図的に台本に組み込まれていた。こういった言葉を使用することで台詞の応酬が滑らかになるという訳である。「台詞だから言っている」というよりも、「人物たちがその場に存在して、生きているから言っている」ことの説得力が格段に増していると感じた。
舞台装置は全編通して変わることが無い。プレハブ小屋の中と、下手に設置された花道のみで話が展開される。この花道の使い方が上手く、プレハブ小屋に入ったり出たりする時の姿から、人物の感情を理解できるようになっている。「走って逃げる」、「トボトボ歩く」などが良い例だが、プレハブ小屋の内外で起こった出来事に対して、その人物がどう感じているのかが手に取るように分かった。また、基本的にはプレハブ小屋の中で話が進められるので、観客の視線が固定されている。そのため、演劇というより、ホームビデオを昔から順番に見ていっている感覚に近い。
この物語には、分かりやすい起承転結も、明確な主人公も存在しない。ただただ、日常がそのままに描かれている。だからこそ観客は、作品の中に存在したかもしれない“自分”の姿を想起できるのではないだろうか。現に、1995年にこの世に存在していなかった私ですら、このサークルの見学に行っている自分を想像してしまったのだから。

關ひなの(せきひなの)
2003年生まれ。釧路出身・札幌育ちの道産子大学生。
札幌南高校を卒業後、北海道大学文学部に進学。大学では、映画から舞台へのアダプテーションなど、映像と舞台の関係について学んでいる。
観劇が趣味で、年間30本ほどの舞台を鑑賞。なかでも宝塚歌劇の作品に特に魅了されている。
北海道文化放送が運営するWEBメディア「SASARU」のライターとしても活動中。
来春からはテレビ局に就職予定。
俳人、文芸評論家 五十嵐秀彦さん

設定が1995年の札幌ということでタイトルが「95」となっているようだ。
いまから30年前。
2005年の初演当時は10年前の設定の脚本だったことになる。そしてその初演から20年経っての今回の公演というわけだ。

ぼくにとって1995年とはどんな年だったろうか。1995年と聞いて思い出すことはなんだろう。
必死に記憶を手繰っていると、ちょうどその年に、それまでやっていた現代詩に見切りをつけて俳句に転向した年だと気づいた。ワタクシゴトながらとても重要な時期だったことになる。
そしてこの年には阪神淡路大震災、さらにはオウム真理教による地下鉄サリン事件があった。バブル崩壊後でもあり、大きな不安が社会全体を覆っていた時代。

けれどぼくの年齢になると、青春時代だった1975年(50年前だなんて!)の、社会全体が沸騰していた日々と比べれば、1995年も2025年もそれほど大きく変わっていない。ネットやスマホの普及も、言われているほど社会を本質的には変えてはおらず、同じような下り坂の中にあるだけだ。
そんな個人的な1995年の記憶を整理しつつ、パトスに向かった。

〈あの頃の札幌にいた僕たちの、痛くて眩しい笑い話〉

さて、この一行から想像する物語はせつない青春劇だったのだけれど、実際に見てみるとどうだろう、ぼくにはずいぶん違って見えてしまった。あるいはその違和感もこの劇の狙いか。

物語はプレハブの中とその横に設えられた暗い細い道だけで進んでゆく。
プレハブはボランティア・サークルが借りていて、そこにサークルの会員が始終出入りする。この劇に主役というのは特にいない。(AとBのダブルキャストになっていて、ぼくが観た日はBだった)

始まるとそこに既にふたりの男とひとりの女がいる。
大声で震災の時の体験を話している水戸(宮下諒平)とその圧にたじたじとしている梶(田川麗捺)、ちょっと離れたところで「なんだこの男は」と眺めている高田(向山康貴)。
思えばこの三人がとても重要で劇的な役割を持っているのだが、始まりはそれほど印象的なものではない。水戸がちょっとエキセントリックな感じはあったが…。
だいたいボランティア・サークルというのが分かるようでイマイチ分からないのだ。どうやら街や海でゴミ拾いをしたり老人ホームとかに慰問に行ったりするのが活動らしい。
物語の輪郭が曖昧な状態で劇が始まり、特に先に期待が湧いてくる作りにはなっていない。
後で振り返ると、梶がポケベル(!)で呼び出される実はとても重要なシーンがあるのだが、それも意図的に平凡なトーンで流れてゆく。

このプレハブにしだいにサークルの他のメンバーがやってきては、また出ていく。
会長の山岡(佐藤亮太)が少し遅れて登場するが、そこで おや? と思わされる。
ボランティアサークルの代表にはとても見えない雰囲気なのだ。
じわじわと裏に隠れていたものが舞台にあらわれてくる。

この取り立ててドラマの無いかのような展開の中に、次元の違う物語の存在がそれとなくちりばめられてゆき、疑問や不安が顔を出しては姿を消す。
そこに暗いものが見えてくるが、やつぎばやに繰り出される95年ネタのジョークが生み出す笑いに覆い隠される。
「ドラゴンボール」「石黒ホーマ」「フォレスト・ガンプ」「カローラⅡ」などなど。
そしてオウム事件ネタも多出する。「マハーポーシャ」のパソコン!! すっかり忘れてたが、そうかあれは95年だったのか!
と驚いたり笑ったりしているうちに、この劇はやはり不吉な方向性に進んでいく。それがどういう結末を呼ぶのか全く見えない。不安がむくむくと膨らむ。

この作品の特に印象的なところをここで書きたい。しかし書くとそのままネタバレになってしまうので我慢するしかない。
どうももどかしいな。

特筆しておきたいのは、全体を通して暗転が巧みに使われていること。
単に場面転換や時間経過だけではなく、物語そのものを描き出す技術としての暗転があるところにぜひ注目してほしい。

そしてエンディングに至って大きな「?」。こういう終わり方がベストなのかと疑問に感じもし、同時にこれでいいのかもしれない、とも思った。
どんな事件も、どんな悲劇も、それが日常の中で起きたことであれば、その後にも日常が当然続く。この作品はそういうかなり難しい設定を基本にしているのだ。そうであれば日常に戻ろうとする人のバイアスまで表現した演出は興味深かった。
俳優陣は皆好演で、特に5人の女性陣の演技が素晴らしかった。染次(後藤千紘)みたいなカルト系不思議キャラは70年代にやたらといたので印象的。

劇が終わって、ぼくは自分の人生を思わず振り返っていた。
劇中の暗い「事実」は実際の日常の中でもけして架空のことではなく、ほとんど同じようなことが実際にあることをぼくも体験として知っている。
それが一層心に重苦しく残った。

帰りの地下鉄の中で、ああそうか! あいつ共犯だったのか! とか突然思いついたりして、見終わった後も妄想は暴走するのであった。

五十嵐秀彦(いがらし ひでひこ)
1956年生れ。札幌市在住。俳人、文芸評論家。
俳句集団【itak】代表。現代俳句協会理事。
北海道文学館理事。
北海道新聞「新・北のうた暦」(共同執筆)、「道内文学時評」執筆。
朝日新聞道内版「俳壇」選者。
月刊「俳句」(角川書店)「令和俳壇」選者。
著書 句集『無量』(書肆アルス)
1995年 黒田杏子、深谷雄大に師事。
2003年 第23回現代俳句評論賞受賞。
2013年 北海道文化奨励賞受賞。
2020年 藍生大賞受賞。
ライター・イラストレーター 悦永弘美さん

L⇔R、TRF、篠原涼子、安室奈美恵etc……。
90年代のヒットソングが流れる満席の劇場。yhsの「95(キューゴー)」は、舞台上に1995年を出現させた。

物語の舞台はそのタイトル通り、1995年。
ボランティアサークルの若者たちが集まるプレハブ。メンバーと付き合っては別れを繰り返す女性「梶」の存在によって、かき回されるサークル内の人間関係。
阪神大震災、地下鉄サリン事件という悲しみと混沌が渦巻いていた年ではあったけれど、プレハブの中の若者たちは、自分たちの目の前の問題で頭がいっぱいだ。

まず驚いたのは、その再現性の高さだ。当時の音楽、ファッション、そして会話の端々に至るまで、徹底的に1995年が作り込まれている。巾着型のビニール製ショッパーを斜めがけにするスタイルなんて、懐かしいったらありゃしない。脱ぎ履きに苦労しそうなギャルのロングブーツ然り、細部へのこだわりを目の当たりにして、懐かしさと謎の恥ずかしさに襲われる。(当時中学生だった私も、休日はムラスポのショッパーを愛用していたことを思い出してしまったじゃないですか……)

当然ながら、「95(キューゴー)」は、ただ懐かしさを煽るだけではない。
私にとって本作は、2025年を生きる自分の意識と、1995年という時代が多層的に重なる、観劇体験だった。
プレハブ内で起こる修羅場と、「今、彼らがこうしている間にも、世間は混沌とし続けていた」という歴史のレイヤーを重ねることで、彼らのバカバカしさや切なさや痛みが、より浮かび上がっていく。さらに、無自覚で無責任だった当時の自分の姿もついてきて、今の自分はどうなんだ?という問いかけも出現する。

そして、音楽が時代の匂いや記憶を呼び起こすということも改めて気付かされた。
夜が更けたプレハブ小屋のあの不穏な場面に、フィッシュマンズが流れた時には、どうしようもないほどに胸が苦しく、切なく、「あぁ、青春って痛い!」と胸が締め付けられた。 前述したレイヤーに、音楽が呼び起こす極めて個人的な記憶のレイヤーも付け加えたい。

1995年は、大きな分岐点だったと思う。
当時、中学生だった私は「ボランティア」という言葉を初めて明確に認識した。
大震災はいつでも起こりうるという現実を改めて知った。
90年代初頭に悪趣味的ノリで、カルト宗教をバラエティが取り上げていたこと。不謹慎なことを無責任に面白がることの罪深さと、その先にあるのは悲劇であるということを痛感した。

熱量に満ちた舞台で大いに笑い、切ない気持ちになりながら、ふと考える。
30年後。未来はこの時代をどのように捉えるのだろうか。
過去、現在、未来を行き来しながら、歳を重ねてもいつまでも居残る青春の痛みが立ち上がり、心が騒ぎ続ける。そして時に、無責任に面白がっていたあの頃の自分を思い起こして、強い自戒の念に駆られる。あっという間の120分だった。

悦永弘美(えつながひろみ)
1981年、小樽市出身。東京の音楽雑誌の編集者を経て、現在はフリーのライター兼イラストレーターとして細々活動中。観劇とは全く無縁の日々を送っていたものの、数年前に演劇シーズンを取材したことをきっかけに、札幌の演劇を少しずつ観るようになる。が、まだまだ観劇レベルはど素人。2015年、仲間たちとともに短編映画を制作(脚本を担当)。故郷小樽のショートフィルムコンテストに出品し、最優秀賞を受賞したことが小さな自慢。
作家 島崎町さん


1995年1月17日(火)、ニュースを見ずに家を出た僕は、学校に行く途中、友達に言われた。「大阪で、でかい地震あったんだって」

それから学校で地震の話題が出たかどうかいっさい覚えていない。ただ僕の知らないところで地震があって、それは当初僕が想像したものよりもはるかに大きく、甚大な被害をおよぼしていて、僕は友人に聞かされるまでそのことをまったく知らず、いつもとおなじ変わらぬ時間をすごしていたことだけは覚えている。僕のなかに地震が存在していなかったあの時間を。

yhs『95』。1995年というあの時代を描き出す。当時の僕は札幌のどこにでもいる高校生のひとりで、yhsの作・演出、南参と同い年なので、あの年の空気をおなじように吸っていた。

阪神大震災もオウムも、札幌の高校生にとっては遠い事実で、狂乱状態のテレビをとおしてまるでエンターテインメントを観るような、自分とは違う世界のように感じていた。

だから本作で描かれるボランティアサークル内での会話、地震やオウムに対する距離感は本当にそのとおりだ。遠い場所で起こったできごと、ネタ的に消費する若者たち。オウムが運営していた(とは知らず)パソコン販売所「マハーポーシャ」で僕もパソコンを買おうか迷ったことがある(本当に安かったからだ)。

本作は1995年の10年後、2005年に初演、2008年に再演。今回、初演から20年たっての再再演だ。僕は初演を観ていて、場所もおなじ琴似のパトスだった。Aチームで出演している小原アルトも別の役で出ていたはずだ。

20年隔てておなじ演目をおなじ場所で観るというのも得がたい経験だ。観くらべて、いまさらわかったことがある。yhsは社会派なんだな。そんな言葉も古いけれど、笑いの強固な殻があって、その奥は社会派なんだなと思った。いまを見つめている。

正直、初演時にはあまりそういう部分は感じなかった。10年前のできごとは近すぎて「いま」と比較できなかったのだろうか? だけどそれから20年(!)たって観ると、ああこれは1995年を描きながら確実に「いま」を描いているんだなと思った。1995年を通じて2025年を浮き彫りにさせる。

あのころ、スマホもネットも普及していなかった時代、時間を潰すためになにをしていたのか。だらだらとマンガ、雑誌を読む。まったりとくだらない話をする。ニュースをネタ的に消費する。なんてつまらない日々だろうと思うけど、なんのことはない、いまと変わらない。マンガ、雑誌、ニュースの供給源がネットとスマホに変わっただけだ。

ボランティアサークルの一室でだらだら「ジャンプ」を読んで時間を潰す若者と、いまぼーっとスマホを見つめる僕たちに違いはない。

だから1995年の若者たちを通じて観客はいまの自分を観る。笑っていたものは鏡に映った自分だった。そういうところに社会派yhsの怖さがある。

今回、特に強調されていたのが「男性性」だ。ストレートな加害だけでなく、言動の端々にひそむ暴力性、あるいは弱さ、弱さからくるいきがり、芯なき寄るべなさ。初演時よりもそれが社会的に認知されているからこそ、1995年のあの、投げ出された「男性性」が嫌でも目につく。

また、スマホもネットも普及していなかったけどポケベルはもうあって、スマホの先祖とも言うべきそのデジタル機器が、人々のつながりを強くするどころか疎遠にさせていくさまは、秀逸な描き方ですぐれた現代批評になっていた。

それにしても、この戯曲が持つ若々しさよ。近年、古典芸能などを幅広く取り入れ進化をつづけているyhsだが、かつての戯曲作を観て、そうそうyhsってのはこういうふうにセンスで殴ってくる劇団だったなと思い出した。かつて僕はどこかに「札幌でいちばん笑える劇団」と書いたが、その思いはいまも変わらない。さらに選曲のよさと、シーンが終わり曲がガン! と入るタイミングもどこか暴力的でよかった。

ただ初演時になんだかなあと思った終盤のあるシーンは今回もおなじ感想で、いっそもう1回車で事故ればいいのにとか思うけど、まあそういう荒々しさも初期脚本のよさなのかもしれない……20年たって僕もなあなあに収めるすべを得た。

この作品がまた上演されることはあるのだろうか。できれば20年後の2045年、あるいは1995年から30年後の2055年に再演されることを願いつつ。そのときもきっと「95」は「いま」をあざやかに、恐ろしく映し出すだろう。ではみなさん、それまでお元気で。

島崎町(しまざきまち)
作家・シナリオライター。2025年3月『ぐるりと新装版』をロクリン社より刊行。上の段と下の段に分かれ回しながら読む変な本として話題に。YouTubeで「変な本大賞決定会議」を配信中。 https://www.youtube.com/channel/UCQUnB2d0O-lGA82QzFylIZg
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